元々はサンチアゴ・ポンジニッビオをメインとしていたUFCチリ大会だったが、3週間前にポンジニッビオが怪我で欠場決定。代わりに急遽、デミアン・マイアが出場した。また本大会で予定されていたヴォルカン・オーズデミア対マウリシオ・ショーグンも、オーズデミアが訴追問題の影響でアメリカを出られず消滅。試合自体が消えたわけではなく、7月のUFCファイトナイト134へスライドとなった。
見た感じ、近藤は動きが非常に堅かった。あまり見事にレバーに決まってしまったので何も余計なことを言いようがないが、始まってすぐに先手を取られ、動きがはっきりしない内にそのまま食らって終わってしまった感じである。飲まれたまま何もできなかった点、残念だ。
ここではMMAの話題から見てゆくが、桜井マッハ速人はこの問題についてマッハチャンネルでコメントをしていた。
その青木も、アベマと組みつつネット上で色々と発信している。当人はコンサル会社に自分のメディア的な立ち位置を相談してもいるようだ。彼らの、一選手としてだけではない顔を見られることは面白い。ただ現在、選手本人が業界全体のプロモートをしなければならない状況になっていることは、シビアな環境の裏返しでもあるだろう。
確かに、一人の選手を一人前に育てるのにはどれほどの手間・時間・金銭がかかるかということはゆめ忘れてはならない事柄だ。タックルをした当該選手は、世話になった人々の期待を裏切れないという気持ちもどこかにあったかもしれない。
そしてそうだとすれば、教育機関に属し表向き「綺麗なツラ」を装いたがってきた人間が、単なる自分の業績の手駒としてそういった色々なものを背負ってきた人間を使い捨て、気が向くままに「壊す」ことを行ってきた点、万死に値する。
まあ、格闘技において「壊せ」はよく使われる言葉だ。しかしこれは、やる者とやられる者の関係が一対一であり、そのために全身全霊を込めて打ち込んできた者同士がそれを承知でやりあうが故に、そのような「スポーツ」として成り立つのだ(この意味でMMAにおける「スポーツマンシップ」は特殊なものだが、しかし観客がこの「スポーツマンシップ」を見にくることもまた確かだ)。
メインのマイア対カマル・ウスマンは、率直に言って塩試合であったが、噛み合わせ的に仕方がない面があろう。流れたポンジニッビオ対ウスマン戦であれば、打撃vs.テイクダウンの攻防が見られたはずだ。しかしマイア対ウスマン戦では、テイクダウンvs.テイクダウンディフェンスという攻防となってしまった。
1R最初、マイアのテイクダウンとウスマンの防御は見応えがあった。ローを入れたウスマンの足をキャッチするとマイアがそのままドライブ、ダブルハンドのタックルに行く。しかしウスマンが体をうつ伏せにしながら切り、左手で脇を差しつつ、右手をマイアの腕の上から回して脇を抱えた状態になる。ケージ際で押し込んだマイアがコブラツイストをかけているような状態になるが、それに対しウスマンは投げのような姿勢で膠着。動いていたが、レフェリーは分けた。
腰を抱えるまでマイアがタックルに行っても、ウスマンの腕はかならずマイアの腕の下に入っている。しかもかなり強力な背筋を活かした切り方をして、隙を与えない。それならとマイアはシングルレッグテイクダウンも試すが、ウスマンのバランスが優っている。ラウンド最後にはマイアは、アッパーなどを見せてからケージ際でウスマンが応戦してきた所を引き込むも、時間切れ。
4R冒頭でウスマンの右ストレートがマイアにヒット、マイアが尻餅をついて倒れる。ウスマンはパウンドに行くがマイアの引き込みを警戒し、相手の足を抑えて遠くからの鉄槌。マイア、引き込もうとするがウスマンが再びがぶり、立って再開。
終盤はマイアもタックルを切られ続けて完全に手詰まりとなり、打撃で追い詰められるシーンも目立った。
マイアのタックルを全て切ったというのは凄いことなのだが、両者ともにそれ以上展開を作ることはできなかった。
一試合前のエミール・ミーク戦でウスマンは「今回は30%の力だった」といって顰蹙を買った。今回に関しては、直前で選手の交代があったことを鑑みた評価をするべきだろうが、試合中に拳を折っていたことをインタビューで告白してしまい、イマイチ格好がつかなかった(黙っておいて、後から明かせばよかったのに…)。
彼は「I'm a problem!」という決め文句を使っているが、売れたい気持ちや、自分がまだまだ力を出していないというアピールが勝ちすぎていて、あまり上手く行っていない。自分をよく見せようという路線が裏目に出ている気がする。これは、スタイルが共通してゆく現代MMAの中で目立つための手法なのであろう。強いが、突出して特徴的なスタイルを持たない選手は、どうやって自分の戦いを魅力的に見せてゆくべきなのか。
マイアのように確立した独自のスタイルを持つ者同士の戦いが主流であった、以前のMMAとはまた異なる悩みである。