[MMA]
アイザック・マルケスvs.ディエゴ・サンチェス(ジャクソン・ウィンク・ファイトナイト2)
アリエル・ヘルワニのMMA HOURで知ったのだが、
ディエゴ・サンチェスがジャクソン・ウィンク・アカデミーでトレーニングしているダウン症の
アイザック・マルケスと、ジム主催イベントで試合をしたことが話題になっていた。
ジャクソン・ウィンク・アカデミーは
自前のメディア班も持っており、このイベントも超メガジムならではの大きな規模で行われていたようだ(メインは
ダマッシオ・ペイジvs.
ヘスース・ウルビーナ)。しかしいわゆる通常の試合だけではなく、このマルケス対サンチェスのような試合が出てくるところには、「総合格闘技」の可能性が非常に深いところでとらえられている、と感じるのは私だけだろうか。
もちろんこれは、障害に対する理解の促進の試みでもあるだろう。著名選手がそれに関わることの意義は小さくない。しかしそれだけではなく、「総合格闘技」を戦う身体においては「健常」とか「障害」といった区別が無意味になっているということが、ここに示されているように私には思えるのである。
単なる技の体系の「ミックス」ではなく、それぞれの身体の状態に合った技の「総合」が起こりうるのが、根本的な意味での「総合格闘技」なのではないか…と、ついつい考えてしまうのだ。
この問題は千差万別で全く一概に扱えないが、既に引退したXFCのチャンピオン、
ニック・ニューウェルからは、「障害」という概念自体に反対している意志を感じた。また、四肢がない状態でケージに上がっているファイターの動画もyoutubeで見ることができる。「健常」と言われるものも「障害」と言われるものも全ての可能性を含めた上で、それぞれの身体がそれぞれに試し合いながら戦うメソッドを作り上げること、それが「総合格闘技」の解釈として間違っているとは、私にはどうも思えないのである。
映像を見ると、マルケスとサンチェスは練習と試合を通して強い結びつきを作っているように見えた。こういった、ビジネス的な流通とは異質なところでの総合格闘技の可能性自体が追求されているということにも、大きな意義があると思う。それは、「文化」というだけではなく、それに関する「思想」が深化する条件なのではないだろうか。