格闘技雑誌が一時期、UFCをモデルにしてスポーツ化する方向性に舵を切っていたことを先週あたりに書いたが、私はその時期の雑誌が嫌いだったわけじゃ全くない。むしろその時期の格闘技誌は、様々な雑誌の中でも群を抜いた企画を立てていたと(お世辞ではなく)思っていた。
その理由は今思うと、こうである。選手の声を届けるインタビューに加えて技術解説・格闘技文化論を並記し、ファンと実践者の裾野を広げながら、さらに体育会系的・精神論的なものの弊害を超えようとする、苦闘の跡が見えていたからだ。ここまで書くと大げさかも知れないが、一時期はUFCの隆盛と国内の下火(そして無論、部数の低下)という対比から来る危機感を元に様々な試みがなされていた時期が、正確には言えないが2010年前後からしばらくあったと思う。
その中で特筆すべきはやはり、『GONG格闘技』に連載していた増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』であった。私はこれを連載で読んでいた時、著者はこの埋もれた歴史を書くためにどれ位の年月を費やしたのだろうか、という感慨を禁じ得なかった。様々な評価はあるだろうが、これが著者しか書けなかった本であることは確かである。忘却された歴史を表に出さずにはいられないという著者の執念と、戦前の武徳館と戦後の柔道界との間にある、またブラジリアン柔術から現代のMMAとの間にあるミッシング・リンクを解き明かそうとした視点の独自性に、なぜこの連載がもっと日の目を見ないのだろうかと思っていた。
また同時期くらい(記憶が曖昧だが)に確か、柳澤健が組み技格闘技の源流を訪ねる記事を『FIGHT&LIFE』に連載していた。寡聞にしてその後どうなったのか知らないのだが、これも面白い連載だった。組み技格闘技が中央アジアから西方へ向かうとレスリングとして伝播し、東方へはモンゴル−朝鮮−日本の相撲として伝わってゆくことを追ったものだったと思う。当時、歴史的・文化論的な広がりを指摘した格闘技論として、興味深く読んだことを覚えている(単行本化してないのだろうか?)。
その後、国内の中小格闘技団体が興行を担うようになり、またパンクラスのZuffaとの協力、そして何よりRIZINの発足により、雑誌企画の方向性は変わっていった。そういった団体が活動すること自体は悪くないが、雑誌が暗中模索の路線を取りやめたあたりで、意欲的・冒険的な企画が徐々に縮小していったことは残念に思っていたのだった。