2017年11月15日水曜日

[MMA]
ベラトール187で、チームメイトであるチャーリー・ウォードの勝利に狂喜したコナー・マクレガーが試合後ケージに乱入。レフェリーのマーク・ゴダードに因縁をつけた後で一度出て行くも、また戻ってきて柵によじ登り、さらにコミッショナーを平手打ちしたことが話題になっている。
マクレガーの行動は、本人も語っていたがWWEの影響も強い。舞台裏を巻き込む手法などは、ナチュラルにやっている部分もあるのかもしれないが、ショーマンとして優秀なものであろう。実際、ベラトールも騒動をしっかり宣伝に利用している(この手法は、WWEとの関係を考えると、かつてのトランプにも非常に似たものを感じる)。
少し前、日本のMMAもUFCのように競技至上主義にならなければというムードを格闘雑誌が醸し出していたことがあった。だがその前にUFCがショービジネスとしての性格が強くなり、RIZINの登場によってさらに方向性がグダグダになりつつ休刊を迎えた。今はどこも、試合はガチ、その他のストーリーはプロレス、という方向性が結局大まかな路線となっており、UFCのランキングの意味もボクシング(団体にもよるが)ほどには競技性を優先させたものとなっていない。
私は、ファイトからシリアスな競技性が消えたらそもそもMMAの存在意義がなくなってしまうので、レフェリーやコミッショナーに干渉するのはやはり当然ご法度という意見である。ケージやリング上でのガチ性を保証するのがレフェリーであることが、どこまで意識されているだろうか。彼らに圧力をかけてしまうと、MMAという競技自体が成り立たないのだ。この意味では、場外の出来事はすべてサイドストーリーである。
今回の件では、マクレガーはマーク・ゴダードを罵っていた。それは以前のUFCファイトナイト・ゲダンスクにおいて、やはりチームメイトのアーテム・ロボフアンドレ・フィリが下した際、裁いていたレフェリーがゴダードだったことがあってだと言う。だがどう考えても、これはロボフがフィリに敵わなかったことが全てである。ロボフはマクレガーにかなり似たスタイルで戦っているが、リーチやスキルの面で、このスタイルは彼には向いていないように思える。
加えて言えば、マーク・ゴダードはキース・ピーターソンらとともに、非常に優れたレフェリーの一人である。彼のレフェリングを見ていると、選手への注意の仕方やストップのタイミングには確固たる判断力が感じられる。乱入は、勝敗が決したかどうかコミッショナーが確認するタイミングになされた。マクレガーは一応謝罪をしたようだが、そもそもレフェリーサイドに因縁をふっかけること、さらにゴダードのような優秀なレフェリーを逆恨みの騒動に巻き込むことなどは、やはり批判されなければならない。