2018年5月28日月曜日

UFCファイトナイト129:マイアvs.ウスマン

カマル・ウスマンvs.デミアン・マイア(UFCファイトナイト129
まただいぶ開催日から間が空いてしまい、もう次の大会直前である。しばらくはこんな感じかもしれない。今回は、チリ・サンチアゴで初開催のUFCファイトナイト(上は1975年公開の映画「サンチャゴに雨が降る」トレーラー)。
元々はサンチアゴ・ポンジニッビオをメインとしていたUFCチリ大会だったが、3週間前にポンジニッビオが怪我で欠場決定。代わりに急遽、デミアン・マイアが出場した。また本大会で予定されていたヴォルカン・オーズデミアマウリシオ・ショーグンも、オーズデミアが訴追問題の影響でアメリカを出られず消滅。試合自体が消えたわけではなく、7月のUFCファイトナイト134へスライドとなった。
プレリムでは近藤朱里ポリアナ・ボテーリョと対戦するも、序盤で放たれたミドル一発に沈む。
見た感じ、近藤は動きが非常に堅かった。あまり見事にレバーに決まってしまったので何も余計なことを言いようがないが、始まってすぐに先手を取られ、動きがはっきりしない内にそのまま食らって終わってしまった感じである。飲まれたまま何もできなかった点、残念だ。
…と、ここまで書いて一休みしていた所、日大アメフト部の悪質タックル問題が大炎上。前代未聞の阿鼻叫喚的会見が開かれて地獄のような様相を呈していた。
ここではMMAの話題から見てゆくが、桜井マッハ速人はこの問題についてマッハチャンネルでコメントをしていた。
最近、格闘家やジムをめぐる環境がアベマやらyoutubeやらで見られるようになった点はうれしいことである。マッハも格闘代理戦争に登場し、青木真也ともめる映像を撮っているが、別の動画では青木自身も格闘技を盛り上げる一員だとは認めていた。
その青木も、アベマと組みつつネット上で色々と発信している。当人はコンサル会社に自分のメディア的な立ち位置を相談してもいるようだ。彼らの、一選手としてだけではない顔を見られることは面白い。ただ現在、選手本人が業界全体のプロモートをしなければならない状況になっていることは、シビアな環境の裏返しでもあるだろう。
アメフト問題に戻る。体育会系の練習ではもちろん「上」の人間は「神様」なのだが、学校での部活は子供のころから両親にも多大な経済的・時間的負担をかけてきたはずで、怪我させた選手もその親御さんたち周囲の人々の物凄い時間と手間をかけて親御さんに育てられてきた…ということをマッハは動画で述べていた。
確かに、一人の選手を一人前に育てるのにはどれほどの手間・時間・金銭がかかるかということはゆめ忘れてはならない事柄だ。タックルをした当該選手は、世話になった人々の期待を裏切れないという気持ちもどこかにあったかもしれない。
そしてそうだとすれば、教育機関に属し表向き「綺麗なツラ」を装いたがってきた人間が、単なる自分の業績の手駒としてそういった色々なものを背負ってきた人間を使い捨て、気が向くままに「壊す」ことを行ってきた点、万死に値する。
まあ、格闘技において「壊せ」はよく使われる言葉だ。しかしこれは、やる者とやられる者の関係が一対一であり、そのために全身全霊を込めて打ち込んできた者同士がそれを承知でやりあうが故に、そのような「スポーツ」として成り立つのだ(この意味でMMAにおける「スポーツマンシップ」は特殊なものだが、しかし観客がこの「スポーツマンシップ」を見にくることもまた確かだ)。
誰が壊れても結局自分だけは脅かされず、教育組織で「利権」と「綺麗なツラ」だけ借りておき学生は金ヅル、などという卑劣な輩はクソ以下の下劣漢として便所に流されるべきだろう。まあ、そうすると非常に多くの人間が流されそうだが笑。
閑話休題、UFCに戻る。
メインのマイア対カマル・ウスマンは、率直に言って塩試合であったが、噛み合わせ的に仕方がない面があろう。流れたポンジニッビオ対ウスマン戦であれば、打撃vs.テイクダウンの攻防が見られたはずだ。しかしマイア対ウスマン戦では、テイクダウンvs.テイクダウンディフェンスという攻防となってしまった。
1R最初、マイアのテイクダウンとウスマンの防御は見応えがあった。ローを入れたウスマンの足をキャッチするとマイアがそのままドライブ、ダブルハンドのタックルに行く。しかしウスマンが体をうつ伏せにしながら切り、左手で脇を差しつつ、右手をマイアの腕の上から回して脇を抱えた状態になる。ケージ際で押し込んだマイアがコブラツイストをかけているような状態になるが、それに対しウスマンは投げのような姿勢で膠着。動いていたが、レフェリーは分けた。
打撃の腕はウスマンの方が上。ヘンリー・フーフト仕込みのパンチと蹴りは、遠い距離から大振りに、しかし姿勢が崩れない範囲で打撃を放ってゆく。マイアはテイクダウンをするも、寝技まで持ち込めない展開が2R以降は続いた。
腰を抱えるまでマイアがタックルに行っても、ウスマンの腕はかならずマイアの腕の下に入っている。しかもかなり強力な背筋を活かした切り方をして、隙を与えない。それならとマイアはシングルレッグテイクダウンも試すが、ウスマンのバランスが優っている。ラウンド最後にはマイアは、アッパーなどを見せてからケージ際でウスマンが応戦してきた所を引き込むも、時間切れ。
3Rになるとマイアの動きが鈍ってきた。それを見てかウスマンが前蹴りなどのキックを多用し出すが、マイアも打撃で応戦。しかしウスマンはタックル用に手を下げ気味のスタイルを取りながら、距離を絶妙に外す。さらに攻撃は遠くからのパンチ主体で、決して近づき過ぎずにいながら優勢な状態を作る。マイアは猪木アリ状態になり引き込もうとするが、当然、ウスマンは乗らず。終盤にマイアは強引にタックルに行くも、がぶられてラウンド終了。
4R冒頭でウスマンの右ストレートがマイアにヒット、マイアが尻餅をついて倒れる。ウスマンはパウンドに行くがマイアの引き込みを警戒し、相手の足を抑えて遠くからの鉄槌。マイア、引き込もうとするがウスマンが再びがぶり、立って再開。
終盤はマイアもタックルを切られ続けて完全に手詰まりとなり、打撃で追い詰められるシーンも目立った。
5Rも同様。引き込もうとするマイアに対し、付き合わず遠くからの打撃のウスマン。柔術家に対しては正しい対処であると思うが、決め手に欠けるまま試合終了。
マイアのタックルを全て切ったというのは凄いことなのだが、両者ともにそれ以上展開を作ることはできなかった。
とにかくウスマンの背筋をフルに使った即座のがぶりと、何よりマイアにつかまらないために終始崩さなかった打撃の距離・スタイルの設定が勝因だろう。
一試合前のエミール・ミーク戦でウスマンは「今回は30%の力だった」といって顰蹙を買った。今回に関しては、直前で選手の交代があったことを鑑みた評価をするべきだろうが、試合中に拳を折っていたことをインタビューで告白してしまい、イマイチ格好がつかなかった(黙っておいて、後から明かせばよかったのに…)。
彼は「I'm a problem!」という決め文句を使っているが、売れたい気持ちや、自分がまだまだ力を出していないというアピールが勝ちすぎていて、あまり上手く行っていない。自分をよく見せようという路線が裏目に出ている気がする。これは、スタイルが共通してゆく現代MMAの中で目立つための手法なのであろう。強いが、突出して特徴的なスタイルを持たない選手は、どうやって自分の戦いを魅力的に見せてゆくべきなのか。
マイアのように確立した独自のスタイルを持つ者同士の戦いが主流であった、以前のMMAとはまた異なる悩みである。

2018年5月18日金曜日

UFC224:ヌネスvs.ペニントン

アマンダ・ヌネスvs.ラケル・ペニントン(UFC224
ブラジル・リオデジャネイロで開催されたナンバーシリーズ。大分時間が経ってしまったので、周辺情報や考察中心で好きなように書く。
大会自体で話題となった一つは、リョート・マチダヴィトー・ベウフォートにおける顎への前蹴りでの2RKOだ。
ベウフォートがこの蹴りでKOされたのは、誰もが思い出すようにアンデウソン・シウバ戦(UFC126)と同じだった。ベウフォートは試合後引退を宣言したが、これはレジェンドである両者にとって、負けた方への「花道」となる試合だったわけだ。引き際としては、ブラジルというホームでブラジル人に負けるというのは悪くない。
しかしリョートは、手を振ってベウフォートの気を散らした後、相手の重心が前足にかかった瞬間を見切ってあの蹴りを放つという、狙いすました一撃を出した。リョートにとって、いまだ一線級の戦いができることを周囲に示した一戦だったと言えよう。蹴り姿も文句ない見事さである。
もう一つの話題は、マッケンジー・ダーンが計量をなんと7ポンドオーバーしたにもかかわらず、アマンダ・クーパーをRNCで下してしまったことだろう。
MMAに計量問題は常につきまとっているが、そこがボクシングとの開きでもある。先日の比嘉大吾の計量ミスは、彼が沖縄の期待を担っている形になっているためもあり見ていて辛い感じがしたが、 山中慎介と対戦したルイス・ネリの計量オーバーとともに厳しい処分を受けた。
これは、端的に言えばボクシングとMMAの歴史の違いが現れてもいる事柄だ。
元々はベアナックルが洗練されたものとして競技化されたボクシングは、19世紀に大英帝国の優位性を見せつけるスポーツとして植民地支配に役立っていった。どれだけ現地の人間の身体的な条件がよくとも、厳密なルールと戦い方を熟知している者には勝てないので、ボクシング技術を用い肉体的にもイングランド人の優位性を示してゆく機会とされたのである(と、かつてジョー小泉が言っていた)。
一方、MMAは諸説あるにしても、元としては柔術的発想と、無差別級的な戦闘の想定を大括りにして持っていると見なせよう(ここからは推測)。
もともとは剣術や槍術等に対して、戦場での素手での組討を「柔術」と呼んだのだろう。しかし、近代において嘉納治五郎が(講道館)柔道を「道」という「表」の競技にしたため、その裏面として「道」以外の実戦的格闘「術」としての展開を見てきたわけだ(武徳館の柔術はその意味で講道館とはコンセプトが違ったろう)。
戦闘を念頭に置いているため、基本的な発想が無差別級であり、誰でも相手にしなければならないとする態度はMMA全体でどこかしら共有されている感じがある(「バーリトゥード」もこの線で同様だろう)。
つまりスポーツの歴史からすれば、ボクシングにはルールを厳正化する必要があった経緯があったのに対して、MMAはそれに単純に倣うかたちで競技化をしてきた(だけの)後発組なのである。
MMAは直接的には植民政策と関係がないが、オリンピック化されるスポーツ競技との緊張関係は常に持っている。競技として認められたいが、一方で戦闘性を失うことも恐れているという境界線の上に立っているのだ。
MMAはスポーツとしての認識を広めるためにルールを整えてきたにもかかわらず、無差別級的な戦闘性からも脱皮し切らない両面があるのは、このためだろう。
しかし、MMAから戦いの要素が抜けないのであれば、戦いの作法の問題も同時に出てくるはずではないだろうか。
どういうことかと言えば、MMAが戦いだとした場合、それは騎士の一騎打ちや武士の果たし合い的な戦いなのか? あるいは、あらゆる手立てを用いて勝つことが至上であり、その手段を選ばない様子こそが評価されるのか?(例えばゲリラ戦もあり、これは正規軍に対するパルチザン的な戦闘行為として、一つの作戦というか戦い方を示すものでもある)…等という、戦いのスタイルと関わる問題が出てくるのである。
戦争にも一種の作法があることを想起する必要がある。つまり、実態としては勝った者勝ちの殺し合いである戦闘の中からも、「名乗り合い」や闇討ちを卑怯とする態度が要請されたり、あるいは条約締結などが現れるという、「戦争後」と関わる視点は外せないはずなのだ(下は三十年戦争後に締結されたウェストファリア条約図)。
まあ言わば、ダーンは「正戦」の中で闇討ちをした形なので、卑怯だと非難されるのは当然ということだ。「契約」という約束がある以上、この問題は重視されなければならないものだ。彼女の人気が高くなければ、試合が実行されたかも怪しいレベルである。
あのRIZINさえギャビ・ガルシアを出場させなかったというのは、計量オーバーでも出場になるだろうという甘い見込みへに対して、「あまり舐めるな」というメッセージだったとも言える。
ということで、事はいわば名誉の問題にも関わっている。対戦相手のクーパーに対しても、この敗戦への名誉回復の機会は与えられて然るべきだ。不正な理由で選手がやられ損になるところを見たい人は、そんなにいない。もちろん言うまでもなく、不要な怪我防止の観点からも大事である。階級のなし崩し的な脱構築は避けなければならない。
だがいずれにせよ、ダーンの技術はまだMMAとして雑すぎる。必ずや今後どこかで敗戦するだろう。その際立ち直れるのか、あるいはジーナ・カラーノロンダ・ラウジーのように燃え尽きてしまうのか。それまでの技術の向上が望まれる。
それに比べれば、アマンダ・ヌネスはかつてヴァレンチーナ・シェフチェンコと2戦行った際、MMAの女性選手の中でも最高級のレベルにあることをすでに遺憾なく証明している。シェフチェンコのトータルファイターとしての完成度は極めて高いが、それと息詰まる戦いを繰り広げてきたヌネスの実力については改めて説明の必要もない。
今回は1Rからロー、また襲いかかるような右フックでペニントンの動きを釘付けにしていった。ペニントンはもっと足を使って左右に揺すぶるべきだったと思うが、ケージ際に詰められて足を止めてしまい、打撃を喰らってゆく。それだけヌネスのプレッシャーが強いのだろう。肩幅の広さもあり、打撃がしなるように入る。両者ともにムエタイベースだが、同じスタイルでは明らかにヌネスに分がある。
2Rも同様の展開。ラウンド最後にヌネスの首相撲からの膝蹴りを掴み、打撃戦で不利なペニントンがテイクダウンを仕掛け成功するも、抑えきれず終了。
3R以降はヌネスがペニントンの打つ手を潰してゆき、リーチを取りながら的確な打撃を当てる一方的な展開。 ヌネスがテイクダウンも取り、ペニントンを削ってゆく。
4Rも同様だが、明らかにペニントンに疲れが見え動きが鈍っている一方、ヌネスはスタンドでもグラウンドでも主導権を取り、ダメージを与え続けた。終盤には首相撲からの膝を何発も連打して入れてゆく。
5Rに入るインターバル中、ペニントンは「終わり」と弱音を吐いたが、セコンドは続行を指示した。これも後からネットで議論となっていたが、ペニントンは全局面でヌネスに抑えられ、もう何をすればよいかわからない状態だったのだろう。
ダメージ的にもうこれ以上は危険という状態でなければ、ここで投了にするかどうかは難しいところだ。気力が折れた時点で負けは決定でも、次に繋がるかどうかという問題がある。この意味で、続行させたセコンドが間違っていたとまでは私は思わない。
ヌネスはこのラウンド、打撃とまたテイクダウンを取り混ぜ、中盤でバックを取り側頭部にパウンドを注いだところでレフェリーストップ。相手に勝ち目を感じさせない、気持ちを折る完封試合であった。
今回は実力において総合的にヌネスが圧倒しており、全局面で相手に勝利するという意味では理想的な試合だったろう。ヌネスとシェフチェンコは女性選手の中で、ともに現代MMAにおいて他の選手の一歩上のレベルを実践している、抜きん出た存在となっている。